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福岡市の金龍寺: 歩いて発見した歴史的な一日

業務改善&組織変革
チホズ スタジオ(Chi-ho's studio)
産業カウンセラーの鎌田千穂です。

歩きながら見つけた金龍寺

アップ忘れていたので夏の今頃に3月のお話を。

西鉄バスさまの市内減便の影響でバスが一時間に2本しか無い状況。
運動を兼ねて明治通りを歩くことにした西新への道中。

鳥飼八幡宮を過ぎた頃に深い味わいのある楼門に目が留まりました。
生まれて初めて入ったこのお寺は金龍寺。

金龍寺の歴史と由来

金龍寺は、曹洞宗の禅寺で、永正5年(1508)に糸島市前原の高祖城主、原田弘種によって創建されたと書いてあります。
福岡藩二代藩主・黒田忠之の時代に現在の場所へ移転された由緒正しきお寺だった。
そして、このお寺の境内には、貝原益軒さんとその夫人である東軒夫人の墓があると知りました。

お白州がきれいなんですよ。
かなり感動モノです。

貝原益軒のお墓がある場所

貝原益軒さんについては、正直なところあまり詳しく知らなかった。
調べてみると江戸時代前・中期に活躍した儒学者、博物学者、大衆教育家であることがわかりました。

1630年に福岡藩の祐筆の子として生まれ、79歳で「損軒」から「益軒」に改名。
彼の著作には『筑前国続風土記』や『大和本草』、『養生訓』などがあり、数々の紀行文も著しています。

最初は誰やねんと思ってはいたのですが、「食事は腹八分目」という有名な言葉をを世に広めた人とわかったのです。

単純な私は、かなり名のしれた方のお墓とわかって得した気分になりました。

歩くことで得た健康と歴史の学び

バスの本数が減少し、人手不足で運行が厳しくなったおかげで、歩いて移動することが多くなりました。

このおかげで健康も手に入れつつ、歴史的な場所を訪れる機会を得ることができ、感謝しています。

金龍寺での発見が、新たな歴史的な学びのきっかけ。
減便も悪くないものだと、日々の生活に新たな視点をもたらすことを実感しています。


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